世田谷区の山本さほさんの件で世田谷区を叩きまくる人の心理について
数日前に大炎上してyahooトップにも乗ったこの案件
区役所と仕事したまんがです。 pic.twitter.com/dIjeba0dix
— 山本さほ (@sahoobb) October 2, 2018
決して許されることではないが、区の職員の対応に対して叩きすぎな人もいると言うコメントも話題である
山本さほさんの件は本当にひどいと思ったけど、一方で一応は謝罪含め対応を表明した区に対して、この際やったれといわんばかりに盛り盛りで非難しまくる、どうしても一言言わずにはおれない無関係のたちもツライな。。 https://t.co/vKmXM5xANv
— 紫原明子 (@akitect) 2018年10月3日
どうして彼らは必要以上の非難をするのだろうか
そこには目的がある
だが彼ら自身も気づいていない目的だ
ではその彼らすら気づいていない目的はなんなのだろうか
答えは「自分は正しい側にいたい」という目的だ
- 幼少期に大人に気に入られることは生存欲求を満たす上で重要
- 日本で良い子とは常識ができる子
- 常識に縛れて育てられた子が大人になると非常識を叩く
- 正解を押し付けるのではなく、自分の頭で考えて育てることが重要
- まとめ
幼少期に大人に気に入られることは生存欲求を満たす上で重要
人間の子供は未熟児だ、大人に気に入られなければ生きてはいけない
当然親にとっての良い子でなければならならず、日々良い子であるための行動が子供に染み付いていく
日本で良い子とは常識ができる子
その良い子であるための判断基準が日本の常識だ
例をあげれば「親の言うことを聞く子、礼儀正しい子、勉強ができる子、友達の多い子」などだ(ちなみにこれは大人になっても変わらず「上司の言うこと聞く人、礼儀正しい人、学歴のある人、人付き合いが上手な人、稼ぎがある人」のようになってるく)
親はこれを押し付ける
そうすると常識に従うことが彼らの中で親に気に入られるために重要なことになってくるのだ
だが「親の言うことを聞き、礼儀正しくもあり、勉強もでき、友達も多い」どれもうまくできる子なんていない
常識に縛れて育てられた子が大人になると非常識を叩く
では、そのような環境で育ってきた人が大人になってどういう行為をするかと言えば、今回の様な「非常識を叩く」と言う行為だ
非常識を叩くことによる利点は「それは違う、お前は間違っている」と言うことで自分が正しい立場にいるように擬似的に思えることだ
そうあくまで擬似的にであって、実際はそんなことはない
元の目的は「世田谷区、フリーランスにとっての納得のいく対応はなんであるべきか」を考えるはずなのに、やっていることは「彼らの感情を落ち着かせること」である
だから叩きに際限がないのだ、そして彼らの欲求は満たされる
そして更に言えば、彼らは自分の目的が「常識を叩く」だということに気づいていない
理由は「子供の頃から植えつけられて深層心理に染みついているから」、そして自分自身が正しい立場であることに気づいては自分を守れないからだ
深層心理が無意識的に自分を守っているのだ
だがこの状況は明らかによろしくない
正解を押し付けるのではなく、自分の頭で考えて育てることが重要
では問題解決のためにはどうすれば良いか
それは育児段階において常識を押し付けないことだ
むしろ常識なんてない
人殺しだって時代によっては正当化される世の中だ(戦争なんかが良い例)
自分の心に正直になり、頭で論理的に考え、行動し、失敗し、反省し、何が正しいのかを自分自身で考えていくことが重要だと自分は考える
失敗というものはマイナスではない
自分自身が目的としたものを成し遂げるために、自分に足りないものを具体的に見つけ出すための手段でしかない
決まっている正解にすがりたい気持ちはわかる
正解という軸を自分で考え、失敗しながら探すよりも既存のものに決めた方が楽だからだ
常識が決まってる世の中では特にそうだ
だが正解にすがりに行った時点で、その人の目的は自己保守になってしまうのである
まとめ
・常識は決まっていないのだから押し付けてはいけないし、そもそも押し付けられるものでもない
・自分の頭で考え、論理的に試行錯誤していくことが大切
楽しく生きれるために、非論理的、非効率的な教育は排除していきたいと心底思う